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佐々木朗希の高校や中学など出身について詳しく解説!

 

今期より中学、高校を経て高卒ルーキーとして千葉ロッテマリーンズに加入した佐々木朗希投手。

今回はそんな佐々木朗希投手の出身中学、高校についてまとめました。

 

佐々木朗希の出身中学

佐々木朗希投手の出身中学は岩手県の大船渡市立第一中学校です。

佐々木投手は中学時代は軟式野球部に所属し投手として活躍していました。

中学二年生の時からエースナンバーを背負っており軟式にもかかわらず最速140km近くを投げるなど当時から注目されていた存在でした。

また中学入学時には身長が160センチ台でしたがそこから急成長し三年間で20cm以上成長し中学三年生時には身長186cmになっていました。

 

中学生時、佐々木朗希を悩ませた疲労骨折

中学三年生の時、身長の急成長に伴い佐々木投手を悩ませたのは成長痛と腰の疲労骨折です。

夏の大会を控えたある日、佐々木投手が野球部の監督に腰の痛みを訴え、監督の紹介で現エンゼルスの大谷翔平投手が高校時代に通った青森県の病院で診察すると腰の疲労骨折であると判明しました。

医者からは「夏の大会ではだましだまし投げることは可能だがこの選手の可能性を考えると夏の大会は棒に振ってでも完治を優先させるべきかもしれない」と伝えられました。

それを聞いた監督は佐々木投手の将来を考え夏の大会には出場させず治療に専念することを決めました。

佐々木投手はその判断に悔し涙を流しましたが納得し、治療とリハビリに励みました。

佐々木投手はリハビリを終えた後、野球部所属者に対して中学の部活動引退から高校入学までの準備段階として開催されていた「Kボール」の大会に出場しました。

「Kボール」とは素材はゴムであるものの硬式級と同じ重さ、大きさのボールを使った試合です。

高校から硬式野球に代わる選手たちにとってはうってつけの大会ですね。

そこで佐々木投手の所属していた地元の野球チーム「オール気仙」は岩手県大会を制し全国大会に出場する活躍を見せました。

佐々木投手も自己最速の141kmを記録するなど素晴らしい活躍を見せリハビリ前よりも成長した姿を見せました。

 

 

佐々木朗希の出身高校

佐々木朗希投手の出身高校は岩手県の県立大船渡高校です。

中学時代から有名だった佐々木投手は高校進学の際、大阪桐蔭や履正社、花巻東高校など全国の強豪高校から誘いがありました。

しかし彼が選んだのは地元の大船渡高校でした。大船渡高校は1984年に甲子園に出場しているものの上記の強豪校と比べると目立った成績を残せていない高校でした。

彼が大船渡高校に入学した理由として考えられるのが地元の仲間たちへの思いです。

中学三年生の時一緒に戦ったKボールの「オール気仙」の仲間と共に甲子園へ行きたいと思い大船渡高校へ入学しました。

大船渡高校には同じ中学出身のメンバーが佐々木投手含めて6人野球部に所属し甲子園を共に目指しました。

佐々木投手は野球部で一年生からベンチ入りし二年生からはエースとして君臨し、一年生では147km、二年生では157kmの球速を記録しました。

また非公式ではありますが佐々木投手は高校三年生時に高校日本代表候補が参加する研修合宿で163kmを計測したとされています。

これは大谷翔平選手が花巻高校時代に計測した当時の高校生の最高記録である160kmを大きく上回るものでした。

佐々木投手はこの頃から「令和の怪物」と呼ばれるようになりました。

高校三年生では一年生、二年生と果たすことができなかった甲子園出場に最後の挑戦をすることになりました。

 

甲子園出場への最後の挑戦

「令和の怪物」と呼ばれるようになった佐々木投手は甲子園を目指す岩手県予選では四番投手として出場しました。

1試合目、2試合目と無失点で問題なく勝ち上がった大船渡高校はベスト8をかけ盛岡第四高校との対戦となりました。

試合は延長12回まで続き佐々木投手の決勝2ランで大船渡高校が勝利し、投手としても完投、21奪三振と194球を投げ抜き最速160kmをマークしました。

次の試合は佐々木投手は前試合の疲れもあり温存されチームは準決勝に勝ち上がりました。

準決勝の一関工業高校との試合、佐々木投手は9回129球を投げ完封、15奪三振を奪う大活躍で決勝に進みました。

迎えた大船渡高校の35年ぶりの甲子園出場、佐々木投手の悲願をかけた決勝戦は強豪花巻東高校との対戦でした。

しかし大船渡高校の監督は佐々木投手の故障を危惧し佐々木投手は決勝には出場することができませんした。

チームは2-12と敗れ、甲子園出場を逃す形になりました。

佐々木投手が決勝に出場しなかったことについて監督へマスコミから矢継ぎ早に質問が飛びました。

監督は

「故障を防ぐためです。連投で、暑いこともあって。投げたら壊れる、投げても壊れないというのは未来なので知ることはできないんですけど、勝てば甲子園という素晴らしい舞台が待っているのはわかっていたんですけど、決勝という重圧のかかる場面で、3年間の中で一番壊れる可能性が高いのかなと思いました。投げなさいと言ったら投げたと思うのですが、私には決断できませんでした」

と語っており、監督から決勝には出場させないと聞いた時佐々木投手は笑顔で「わかりました」と返したといいます。

この監督の判断は物議を醸し、野球関係者からは賛否両論が生まれました。

現在、メジャーで活躍しているダルビッシュ投手などはこの佐々木投手の将来を守った監督の判断を称賛されています。

この後、佐々木投手は甲子園出場を果たすことはできませんでしたがドラフト会議では4球団から一位指名され結果的に千葉ロッテマリーンズに入団が決まりました。

 

まとめ

今回は千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手についてまとめました。

令和の怪物と呼ばれていた佐々木投手、念願の甲子園出場を果たすことはできなかったのですね。

しかし二度監督の決断により守られた将来を期待される能力をプロの世界でいかんなく発揮してほしいです。

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