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佐々木ろうきは甲子園での実績がない?こだわりや登板回避問題とは

佐々木ろうき選手は大船渡高校時代に甲子園に出場することはできませんでした。

仲間とともに甲子園に出場するという目標を持ち挑んだ岩手県大会の決勝で、監督は疲労などを考慮し佐々木選手を出場させず、大船渡は敗退しました。

この記事では佐々木選手の甲子園へのこだわりや、岩手県大会での実績、話題になった登板回避問題についてまとめています。

 

佐々木ろうき選手の甲子園へのこだわり

佐々木朗希選手は高校進学時に岩手県内だけだなく、県外の有名私立高校からも勧誘がありました。

なかでも甲子園常連の大阪桐蔭の関係者は中学時代の佐々木選手の試合にも足を運び、熱心にオファーを出していたそうです。

しかし佐々木選手はこれらの誘いをすべて断り、地元の県立高校である大船渡高校に進学しました。

佐々木選手はなぜ大船渡高校を選んだのでしょうか。

そこには「中学時代から一緒に野球をしてきた仲間と地元の学校で甲子園に行きたい」という佐々木選手の熱い想いがありました。

ただ甲子園に出場したいのであれば、大阪桐蔭の方がチャンスはあるはずです。

佐々木選手の大船渡高校進学には、佐々木選手らしい甲子園へのこだわりがあったのです。

 

佐々木ろうき選手の夏の岩手県大会での実績

令和の怪物と呼ばれる

大船渡高校に進学した佐々木朗希選手でしたが、1年時と2年時は甲子園に出場することはありませんでした。

3年時の春に行われた高校日本代表候補者の合宿で、高校最速の163キロを記録しました。

公式記録ではなかったものの、中日ドラゴンズの関係者が構えたスピードガンでの記録ということもあり、日本中の野球ファンの間で話題になりました。

こうして佐々木選手はこの年の「高校ビッグ4」のうちの一人に挙げられ、「令和の怪物」とも呼ばれるようになりました。

3年の夏の岩手県大会

佐々木選手は甲子園出場の最後のチャンスである3年時の夏の岩手県大会に出場し、2回戦・3回戦をコールド勝ちで突破しました。

7月21日の4回戦では盛岡四を相手に延長12回、佐々木選手の決勝ツーランホームランで4対2の勝利を収めました。

この試合で佐々木選手は194球を投げ、21もの三振を奪い、さらに球速160キロも記録しました。

翌日7月22日の準々決勝の久慈戦では、前日の疲労を考慮され佐々木選手の出場はなかったものの、大船渡は延長11回までもつれこみ6対4で勝利しました。

7月24日の準決勝の一関工戦では中2日の休養を経て佐々木選手が再びマウンドに立ち、5対0で大船渡が決勝への切符をつかみました。

この試合で佐々木選手は129球を投げ、15の三振を奪い2安打完封、最速157キロを記録しました。

7月25日に行われた花巻東との決勝では、準々決勝同様に前日の疲労や気温の高さなどを考慮し、佐々木選手の出場はありませんでした。

試合は2対12で花巻東が勝利し、大船渡は甲子園への出場を果たすことができませんでした。

こうして佐々木選手は3年間を通して1度も甲子園に出場することはできませんでしたが、これまでの実績が評価され、この年のプロ野球ドラフト会議で4球団から1位指名を受けました。

抽選の結果、千葉ロッテが交渉権を獲得し、佐々木選手は千葉ロッテでプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせることになりました。

 

佐々木ろうきの登板回避問題とは?

佐々木朗希選手は夏の甲子園での主役候補として注目され、岩手県大会決勝では多くの野球ファンを球場に呼び、テレビ中継でも多くのスポンサーを集めました。

しかし佐々木選手は登板することなく敗退してしまいました。

この佐々木選手の登板回避をめぐり関係者、メディア、ファンの間で賛否両論が巻き起こりました。

大船渡・國保監督の判断

大船渡の國保監督は、佐々木選手は投げられる状態だったかもしれないが、故障を避けるため登板回避を判断しました。

國保監督は筑波大学体育専門学群で学び、アメリカの独立リーグでのプレー経験もあり、野球を科学的にとらえ「選手ファースト」を実践してきました。

國保監督は佐々木選手を出場させなかった理由として、球数・登板間隔・気温を判断材料に挙げています。

まず球数ですが、佐々木選手は決勝戦から4日前の盛岡四戦で194球、1日前の一関工戦で129球投げています。

次に登板間隔ですが、盛岡四戦から中2日で一関工戦、そして決勝で投げたとすれば連日での登板になります。

大船渡は5日間で4試合を消化するという超過密日程でした。

最後に気温ですが、決勝当日の最高気温は31℃を超える予想となっていました。

実際のマウンド上での体感温度はそれよりももっと高いものだったと考えられます。

こうした条件の下佐々木投手の登板回避を判断した國保監督ですが、佐々木選手は笑顔で承諾したといいます。

登板回避に対する批判

佐々木選手の決勝戦での登板回避に対して、大船渡高校には2日間で250件以上の苦情の電話が来たといいます。

スカウトからは、甲子園出場をかけたプレッシャーのある状況で登板することは、今後の野球人生での財産になるという意見がありました。

元プロ野球選手の中にも、甲子園での1試合1試合で選手は成長するから、甲子園でプレーさせてあげたかったという声もありました。

なかでも野球評論家の張本勲氏の批判が注目されました。

張本氏は「大船渡は監督と佐々木のチームではない」とし、チームの選手たちのためにも「絶対に投げさせるべきだった」と発言しました。

また「怪我を怖がるなら、スポーツを辞めるべき」といったむねの発言をしました。

國保監督を擁護する声も

批判的な意見だけでなく國保監督の判断を擁護する意見も出ています。

いくつかのメディアで國保監督は佐々木選手の将来を守ったと賛辞を送りました。

また野球以外のスポーツ業界からも國保監督の決断を支持する声が上がりました。

また前述の張本氏の國保監督批判に対し、ダルビッシュ有選手がTwitterで反論したことが話題になりました。

ダルビッシュ選手は自身の経験を踏まえ、選手を大切にする國保監督を擁護したと考えられます。

こうして佐々木選手の登板回避問題は高校野球界のみならず、日本中で議論されるまでになりました。

國保監督の判断は、投球数、過密日程といった高校野球界の問題に対し、一石を投じた形になっています。

 

まとめ

佐々木朗希選手は目標であった「仲間とともに甲子園出場」を果たすことはできませんでした。

しかし甲子園に出場できなかったことがここまで日本中で話題になる選手も珍しいのではないでしょうか。

それほど日本の野球ファンが佐々木選手に注目し、甲子園大会に期待しているということです。

甲子園でのヒーローにはなれなかった佐々木選手ですが、プロ入りした今、日本の野球界のヒーローになるチャンスが待っています。


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