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村井満チェアマンは経歴が異色ながらもJリーグを支える理想のリーダー

新型コロナウイルスの影響で各地でイベントが中止となる中、その難しい決断をプロスポーツで真っ先に下した村井満Jリーグチェアマンに賞賛の声が上がっています。

ではJリーグのトップであるチェアマンを務めて村井満さんとはどのような経歴の持ち主なのでしょうか。

実は村井満チェアマンの経歴は異色のものでした。

 

村井満チェアマンの経歴とプロフィール

村井満チェアマンは1959年8月生まれの現在59歳です。

埼玉県川越市出身で埼玉県立浦和高校から早稲田大学に進学し、1983年に現在のリクルートである日本リクルートセンターに入社しました。

家族は奥さんと2人のお子さんという構成になっています。

 

村井満チェアマンの経歴はサッカー選手?

Jリーグのトップであるチェアマンですので村井満チェアマンもサッカー界に大きな足跡を残した人かと思えばそういうわけではありません。

その経歴を辿るとどちらかと言えば一般の人に近い印象を受けます。

 

村井満チェアマンは高校サッカー出身もプロの経歴なし

村井満チェアマンのサッカー選手としての経歴はほぼ高校サッカーのみです。

中学時代まではバスケットボール部に所属していたくらいで、浦和高校に進学後サッカー部に入部したのが始まりです。

ポジションはゴールキーパーを務め、2年生の時にはレギュラーとして埼玉県ベスト8に進んでいます。

その後はサッカーや辞めていますので学生時代にサッカー部だったもののプロやアマチュアトップでの活躍はありません。

 

村井満チェアマンは大のサッカーファンで知られる人物

サッカー選手としての経歴はない村井満チェアマンですが大のサッカーファンとして観戦に力を入れていました。

出身である埼玉の浦和レッズのサポーターであるだけではなく、1997年に日本が初のワールドカップ出場を決めたイランとのアジア第3代表決定戦ではマレーシアまで行って現地観戦しています。

村井満チェアマンはサッカー選手ではありませんが、サッカーを愛してやまない人の1人なのです。

 

村井満チェアマンの経歴はバリバリのサラリーマン

村井満チェアマンはリクルート出身ですが社歴の大半を人事畑で歩んでいきます。

社内で執行役員を務めつつ、転職サービスを扱うリクルートエージェントの社長に就任するなどリーダーシップも発揮しています。

リクルートの香港法人でも社長に就任しており、村井満チェアマンはサラリーマンとしても輝かしい経歴と貴重な経験を持っている人物なのです。

 

村井満チェアマンのサッカー界での経歴

村井満チェアマンは選手としての経歴だけではなく、半生の大半は会社員としての経歴です。

そんな村井満氏がチェアマンになるまでの経歴はどうなっているのでしょうか。

 

2008年から日本プロサッカーリーグ理事を務める

村井満チェアマンが最初に本格的にサッカー界に関わり出したのは2008年のリクルートの執行役員時代でした。

リクルート社としてサッカー選手の引退後のセカンドキャリアを支援する活動を行っていましたがその功績を評価されての抜擢となりました。

以降リクルート社の仕事をしながら理事としての役割を2013年まで続けました。

 

Jリーグチェアマンとしての経歴は2014年から

村井満チェアマンがJリーグのチェアマンに就任したのは2014年1月のことです。

5代目のチェアマンにして初のビジネス界出身者となりましたが、以降は任期2年に対して再選を繰り返し2020年1月には4期目の再選が内定しています。

規定により今回が最後の任期となる予定ですが、初代チェアマンとしてJリーグをリードした川淵三郎氏に次ぐ長期政権となってします。

 

村井満のチェアマンとしての経歴

村井満チェアマンはビジネス界出身者らしく今までのチェアマンとはまた違った形で次々とJリーグに新たな風を送り込んでいます。

時に難しい決断を下さなければならないこともありますが、Jリーグにとって何が一番大切かを考えている人物と言えます。

 

DAZNとの契約を締結

Jリーグに大きな流れを呼び込んだのが2017年から始まったDAZNの配信です。

イギリスのパフォーム社と10年間で2,100億円ともなる放映契約を結んだことでJリーグの広告収入は倍となりました。

近年大物外国人選手のJリーグ入りが続いていますが、Jリーグの収入が増えたことで賞金や分配金が増えたことが大きく影響しています。

 

Jリーグ初の無観客試合を実行

村井満チェアマンが就任して間もないタイミングで浦和レッズの一部サポーターが差別的な横断幕を掲出するという事件が起こりました。

人種差別を断固認めない国際サッカー連盟並びにJリーグは何らかの処分を浦和レッズに下す必要がありましたが、そこで村井満チェアマンが決断したのは無観客試合でした。

勝ち点の剝奪も予想されていた中で、当時村井満チェアマンは「直接サポーターが影響を受ける方法を選んだ」と説明しており、その言葉通り苦い記憶を全てのサポーターに残しました。

 

コロナウイルス対策でJリーグ延期の英断

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大防止策としてJリーグは開幕したばかりのタイミングでしたが公式戦の延期を決めました。

経営への影響を考えると非常に難しい判断でしたが、観客や選手、関係者の安全には代えられないとしてプロスポーツとして最初に安全を重視する姿勢を示しました。

試合が行われないことを寂しく思いながらも、多くのサッカーファンは社会に一石を投じたJリーグの判断を誇りに思っているところがあります。

 

まとめ

村井満チェアマンの経歴はJリーグのトップを務めるには異色にも見えますが、開幕から20年以上を迎え変革期にあった中で最適な人材だったと言えるでしょう。

決して明るい話題ばかりではありませんでしたが、リーダーとして村井満チェアマンは立派な姿勢を示しており、今後もその経歴は歴史に刻まれることでしょう。

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